「 白きつね台地 」
@33koku 下部のほうに「きつね踊り・動画があります。 |
王子稲荷の上の地はかつて上ノ原と云いこの辺で最も高みで稲荷の奥 の院の観があり守り神として「白狐の社」があった。 今鳥居跡だけが残る。 |
今の区役所前通り は昭和四年迄は無くて本郷方面から来た岩槻街道は一旦川沿いに下 り王子神社下から王子大坂を上がって上ノ原に出た。 |
上ノ原から十条につながる稲荷道の途中に昔、 七軒町(しちけんちょう)という集落があり 王子稲荷分社の 「 四本木(しほんぎ)稲荷 」 があって稲荷文化濃い農村生活をしていた。 |
Link..... 四本木(しほんぎ)稲荷・詳細 |
七軒町というがカヤ葺きの村集落で、位置は現在自衛隊北門の内側だった。 作物は 「 王子茶 」 で知られた茶、大根、ゴボウ、エンドウ、人参、甘藷、ナス、ネギ、エンドウ、ウリ、 モロコシ、麦、など豊富で、大根は練馬に劣らず沢庵の名所だった。 |
四本木稲荷は王子稲荷の分社で、かなりの規模だった。稲荷はナラ、杉、モ ミ、サワラの四本の樹に囲まれ、中でもサワラは直径太さ七尺、高さ十五、六尺で 千住大橋から見えた。 |
稲荷を信仰していたこの土地の人には台地耕作の必要から水願望があった。それは雨 乞いという祭りとなって表れていた。 |
複数の役氏子が榛名湖迄行きその水を竹筒に取り駅伝よろしく持ち逃げ帰る。神水を 盗まれた榛名湖の竜神が怒り追いかけ雨降らすというものだった。 |
現在も富士祭礼にホラ貝を吹き鳴らす修験者がおいでだが、昭和三十年ころまで王子稲荷の下境内に 水垢離場があった。 |
あれこれ見回してみて王子稲荷の奥の院としての上ノ原からそれに続く四本木稲荷のあった十条方面 の台地の日常史には王子稲荷の存在が大きく関わってきた。 |
エピソードとしては、乃木将軍が毎月、馬に乗って現在の台地の王子本町2丁目の友人 木村大佐を訪ねてきていた。 王子稲荷に毎月詣でを欠かさなかった帰りに立ち寄ったようだ。 |
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