異端のお囃子「 ささらばやし誕生 」 白きつねKotKot のこれまでのつぶやき

異端のお囃子「 ささらばやし誕生 」 @〜R 
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12月31日除夜24時、王子狐の行列進発。
http://ouji-kitsune.jp/ ... 参加申込お受け中。(行列事務局)

プロフィール
王子の白きつねkotkot
東京都北区王子
保有芸能 @王子田楽躍り A王子狐踊り B王子ささらばやし。
生活の安心安全を祈る王子狐の行列に毎年出るのも楽しみ。 東京都北区王子が伝統芸能のあたたかさに包まれるるような未来へ。世の中の一つの窓をツイート面に見て自身の考えをまとめる。
http://www32.atpages.jp/ransho/ouji-denshou.html




異端のお囃子「 ささらばやし誕生 」@〜R」

註 :
文中の 「失われた伝統芸能の復興」とは、戦前 昭和19年から絶えてしまっていた東京の「王子田楽」のことです。
「王子ささらばやし」は王子田楽復興に向けて取り組み母体として昭和57年10月に創設し今日に至っています。
王子ささらばやしは王子田楽養成会として機能し、王子ささらばやし衆が王子田楽を担う「王子田楽衆」そのものなのです。
王子ささらばやしが王子田楽復興を成し遂げることが出来ましたのは、全氏子30町会で「王子神社田楽舞保存協賛会」を創って 下さった王子神社ならびに協賛町会様のおかげですし、すべての協力者の皆様方のおかげでした。
また、北区の無形民俗文化財第1号に指定して下さり、今日まで支援し続けて下さっている全ての区職員の皆様のおかげで 今日まで来ることができました。
もちろん、最大の支援者は、わが家族でした。
王子田楽復興の足取りは、別の機会にあらためて発表させていただきたいと思っています。

王子田楽


2011.10.15了

@ 私のお囃子は異端です。今、このツイッターの社会を見ても例えば獅子舞や神楽「全盛?」の観がありますよね。獅子舞や神楽のみなさん、怒らないで聞いてくださいね。


A 昭和58年、自分はある戦前に消滅してしまい世に二度と復興はできない幻のといわれてあった伝統芸能の復活に取り組むことになりました。思いと裏腹にカネ周りの悪かった自分には至難の取り組みとなりました。復興する手はずをどう組み立てるか迷いに迷い眠れない日々が続きました。


B 復興する手はずをこう考えました。周囲の祭り環境が壊滅して40年たってしまっているので、こどもが主役のこの芸能はこども自体が1年中飽きずに取り組むにはサポートが全く無い。自分は神社関係者でも無い。町会の役員でも無い。笛も出来ず、お囃子も知らない。


C 復興のロマンという自分の思いだけが本当に生きがいと思うのかおまえ?だとしたら社会の常識より自分の意思に生きればいいじゃないか。これが自問自答でした。そこで考えたのが1年中飽きずにこどもが続けられる仕組み組織を作ろう・・と。


D ところで今、ここでなにをお伝えしたいかというと思いさえあれば身のまわりに芸能をこさえることが出来る、という経験です。周囲の常識をこえることが出来るか出来ないか、そこが人にとって大きな成否の境目、と自分は思いました。大きなものか小さなものか、は時の運、でしょうが。


E 東京区部でお囃子というと江戸囃子。自分自身が芸能の仕組みを作ろうとするので江戸囃子に入るのは趣旨と違うし、江戸囃子の一門をつくるには資金も技術もとてもとても計算の及ぶものではありませんでした。だったら自分がお囃子を創作するしか道は無い。でも笛も吹けない自分!


F 笛も吹けないのに気持ちだけ先行する自分。無謀なんでしょうか、性格です。笛の先生をさがしました。お囃子の先生は考えませんでした、すぐ抜けるのは失礼ですし。長唄笛の先生が見つかりました、吹き方だけ教わりたいのです、と言って。快く受け入れて下さいました、ラッキー!


G その先生に熱心に教えていただいたことが本当に実になれたと思っています。やはり心苦しかったのは多少吹けるようになれただけで抜けざるをえなかったことです。自分には時間が無かったのです。つまらない弟子でした。目論むのはあくまで失われた伝統芸能の復興でそのための笛習い。


H 昔を知る高齢の方々がお訪ねする所所で昨年亡くなられたとか一月前に亡くなられたとかになっていたのです。昔の知財がどんどん失われていく。時間との競争!猶予は無いんだ!まともに笛を吹けもしないのに近所の親御さんをくどいて子らを集め自宅で笛を教え始めました。


I はっきり言って近所迷惑はありました。「うるさい!」。家に落書きもされました。それで出来る限りご近所に失われた伝統芸能を語りご理解を得ることに努めました。段々とご理解は浸透していきました。復興なんてホント出来るかどうかの確信なんてありません。既述のような環境でした。


J 復興できるなんて言い切れないのに弟子となってくれた子の親御さんに笛を買って下さいと言えなかった。1本本物の篠笛を買ってきて竹屋で篠竹を買ってきて見よう見真似でほじって周りをタコ糸で巻いて笛を造った。それで子ども等に「こういう風にやれば鳴るはず」という教え方をした。


K 自分の笛がプカプカで無くなる前から実は子等への稽古を始めていた。「おじさん、やってみてよ」と言われても「おじさんはまだ吹けないけどやってみな、吹けるはずだよ」という調子の”稽古?”。そんな中でもしぶとくお囃子作りを考えていた。そこで思いついたことがあった。


L 東京区部のたいがいの神輿は「ソイヤ、ソイヤ」とか「オリャ、ソリャ」となっていた。「ワッショイ」は少なくなっていた。どうしてこうなったかと考えた。高度経済成長が始まって神輿は道路の片側を直線に進まざるを得なくなって、その機能に都合の良い掛け声が派生したんだ!


M 良いか悪いか江戸囃子はまだそれに合わせようという進化を選んでいなかった。(註:今から28年前のことです)ならば自分は徹底的に「ソイヤ」に合わせるお囃子を生み出したい。思いついてから眠れない日々が続いた。口ずさみの手短のメロディ程度は作ったことはあってもそれ以上の経験はなかったので難儀した。


Nポンコツ車のエンジン音の中だったなー、メロディーが浮かんできたのは。いかにも素人っぽいメロディーだったけど。この時期、伝統芸能復興の動きの中で縁故やら聞き伝てやらで大人から子どもまで18人が集ってくれていた。伝統芸能ではビンザサラを使うので「ささらばやし」結成!


O 祭の日、「ささらばやし」は通過する4基の神輿を歩道上で待ちうけた。ビクビクだった。なにせ今まで聞いたことも無い音楽、それも江戸囃子で無いもので囃そうというのだ。神輿衆は怖いよ、怒らしたらどうなる!? 演奏の自分の心は震えながらも「ささらばやしは伝統復興への仲間!」


P 小さな神輿2基が何事も無く通過していった。3基目の一番大きな神輿も通過した、と思ったらUターンしてこちらに向かって来る! なんだなんだ!! どんどん来る、怒ってる怒ってる!!! ついにこちらの演奏している歩道に乗り上げて「ソイヤ!ソイヤ!」甲高くもむ、もむ、もむ。


Q タスキをかけた神輿の大柄な世話人氏が玉の汗顔で飛んで来てでっかい口あけてガナった。無視してやりきっちゃおう。そう決意して無視して演奏を鉦ジャンジャン打たしてリードしていた。世話人氏はついに耳元にきて怒鳴った。「敬意を表してんだよ!」
R 世話人氏は人指し指を神輿の前で高々とあげて天を指さした。すると神輿衆が神輿を高々とあげて「差ーせ!差ーせ!」。しばらくそれをやって去っていった。そのあとに後続の神輿が同じ振る舞いをしてくれて去っていった。「ささらばやし」が町に受け入れられた瞬間だった。

王子ささらばやし
王子神社本祭15町会神輿宮出し

KotKot

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