伝統の側面「王子の伝統芸能の別の顔」白きつねKotKot

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12月31日除夜24時、王子狐の行列進発。
http://ouji-kitsune.jp/ ... 参加申込お受け中。(行列事務局)

プロフィール
王子の白きつねkotkot
東京都北区王子
保有芸能 @王子田楽躍り A王子狐踊り B王子ささらばやし。
生活の安心安全を祈る王子狐の 行列に毎年出るのも楽しみ。東京都北区王子が伝統芸能のあたたかさに包まれるるような未来へ。 世の中の一つの窓をツイート面に見て自身の考えをまとめる。
http://www32.atpages.jp/ransho/ouji-denshou.html




伝統の側面「 王子の伝統芸能の別の顔 」 2011.10.22了



伝統芸能の生き方には二つあるはず。古典を古典のままに伝えようとする生き方と時代の風を読みながら古典の姿を新たな試みで再構築しようとする生き方。どちらにしても大切なのは、試みの足跡を記録にとどめること。後世の人はそれによってその古典の生き様をどちらからも楽しむことができるから。


人が伝統芸能と言う時、本当のその芸能の出生の瞬間を知っていなければ変化したものか元々のものかを知っているわけではない。多くの伝統芸能は変化してきたと思う。古いものほど変化があったと思う。逆にいえば長く続けようと思えばやむを得ぬ変化は必要だ。変化させない努力はもちろん必要だが。


伝統芸能の中には、それって、変化が無いんじゃない!? と思われるほど古式の伝承を感じさせるものがある。その周囲の社会が昔通りに保たれているのか努力によってなのかは知らない。そう続けられるエネルギーには感動し、嬉しい。昔が見れる! 残念なことに多くの芸能はそうなれない。


王子の芸能を例にとると躍りの主役は大昔は顔を見せていた。しかし明治以降は顔を紙垂で覆って見せなくなった。今もそれを続けている。人はこれが伝統と思っている。行う我々もこれを伝統としている。つまり我々はやるかやらないかを別として二つの芸能をもっていることになる。人は普通それを知らぬ。


芸能の楽しみ方は多様だと思う。観て聞いて素直に楽しめたらそれは最高のことだ。ただ演じる自分は別の楽しみ方もしている。代々代々の人々が関わって伝えてきたその縦の流れの中に確かにある自分に嬉しい。この芸能の昔と大昔と、どんな人達がどんな思いでどんな風にやったのか? 興味が尽きない。


王子の場合は昔は「坊主おどり」とよばれた。主催者が寺だったからだ。明治からは主催者が神社となった。寺主催が550年間、神社主催が150年間、どちらからしても確かな伝統だ。伝統の長さは確かだが主催者の違いは芸能に変化を与えた。なおかつ長い歴史の中、宗旨の変化も影響があったはず。


今、王子の場合を言っている。これをそのまま全国各地にあてはめてはいけないだろう。各地には各地の状況がある。それぞれが個別に研究される必要がある。個別ということで言えば、そういう配慮なく王子の芸能が評論され、誤った認識を250年間も持たれ続いて今日にまで至った。


王子の芸能への誤った認識は、この芸能の歴史をしつこく研究しての結果解き明かされた、いかに研究が大切かが知れた。王子の芸能への誤った認識は時の権威と見られた文献や識者によって伝え来られた。人は権威を金科玉条とする傾向が強い。この性質は王子の歴史ある民話にも表れた。


王子の狐は関八州から集まるとされてきた。よくよく調べてみると、鈴鹿の関から東の国々・東国三十三ケ国から集まったと言う民話が正しいことが分かった。この伝承の始まりは平安時代に端緒が生まれ狐民話になりそれを江戸時代の幕府が政治圧力をもって変えたのだと分かった。人々は権威に従ったのだ。








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